Q: ずっと以前のことだけど、聞きたいことがあるの。あなたは、“The Incredibly True Adventure of Two Girls in Love (2ガーズル)”の映画でブレイクしたでしょ。その当時は、まだテレビや映画にレズビアンはほとんど登場していなかったけど、それからたったの12年で状況はすごく変わってきたのよね。現在あなたは「Lの世界」で象徴的なキャラクターを演じていて、テレビでもっとレズビアンを目にするようになった理由の一つでもあるわけだけど、ポップカルチャーの大きな変化に関わったことについてどう感じている?
ローレル・ホロマン: 誇りに思っているわ。簡単な答えだけど、本当に誇りに感じているの。おそらくこの二つの役柄はつながっているんじゃないかしら。「Lの世界」のスタッフが、私をキャストの候補に選んでくれた理由の一つは、私が「2ガールズ」に主演したからだということは確かなことなのよ。ただ、ティナはランディ・ディーンとは全く違う役柄だから、私がティナを演じられるということを証明しなければならなかったんだけどね。ランディ・ディーンのような子は、絶対にティナのような大人にならないでしょ。
Q: その通り。ティナとランディ・ディーンは全く違うタイプよね。
ローレル: その二人がまったく違うタイプというのは、私としてはとっても気分的にいいことだわ。ランディ・ディーンは、20代の私が内に溜め込んでいたものを出して作り上げたキャラクターなのよ。私にはランディ・ディーンっぽいところなんてかけらもなかったので、そのキャラクターを作り上げるのに4週間かかったわ。いまだにその映画を見返すことがあるけど、「ああすればよかった、こうすればよかった。」ってまだ思うもの。でも当時の私はその映画に真剣に取り組んで、外見まで変えて、リサーチもたくさんしたのよ。
そういったことは、マリア・マッゲンティ(Maria Maggenti、2ガールズの監督兼脚本)がいかに情熱的であり、いかに素晴らしい人物であり、いかに私のキャラクター作りを助けてくれたかということが大きく関わっているわね。多くの人が私のことを、なんでランディ・ディーン役にどこで見つけてきたのかわからないような役者を使っているんだろうって思ったはずだわ。でも実際私は、その前にも主役を務めたことがあったし、その役はランディ・ディーンとはかけ離れたルックスだったのよ。誰も知る由はないでしょ。一緒に働いている人たちでさえ、「2ガールズ」は好きな映画の一つよと言っておきながら、しばし私と一緒に座っていたとしても、私がランディ・ディーンだったってことに気がつかないのよ。おもしろいわよ。 そこが演じることの素晴らしいところよね。
不思議よね。 「2ガールズ」を撮影していた時は、「誰がこの映画を観るの? 誰か買う人いるのかな? これからどうなるの?」って疑問だらけだったの。そのあと、「Go Fish」という映画に大きく関連しているんだけど、もし「Go Fish」の配給元が決まらなかったら、 「2ガールズ」の配給元が決まったかどうかわからないわ。でも「Go Fish」は配給元が決まり、それでラッキーにも、それと一緒に「2ガールズ」もサンダンス映画祭で上映されたのよ。これもある意味流れよね。
本当に素晴らしいと思うのは、「Lの世界」は様々な国で多くの人に観てもらえているということ。それはインディペンデント映画ではなかなか難しいことなの。 そういった意味では「2ガールズ」は偉業を成したし、様々な道を開いたわ。そのあと私は25本以上の映画に出たけど、同じようなことができたかわからない。でも「2ガールズ」は確かに道を開いたし、出演作品の多くはインディペンデント映画だけれども、それは私が重点的に取り組んでいたものであり、私のキャリアが始まったものであり、何より脚本家と監督の間に自由さが溢れていると思うものだからよ。
インディペンデント映画は、スタジオやネットワークにコントロールされていないから、いまだに私は信頼を寄せているんだけれども、「Lの世界」が成功して、5年も続いて、多くの国々で取り上げられて、それはとっても嬉しいことなのよ。ヨーロッパに行ってロンドンで人々に会い、「Lの世界」が始まる前には観るものがなかったというような話を聞いたり、「Lの世界」を観たから日本からロンドンに来たという人々のことを知ると、ポップカルチャーの一部であるということと、必要とされている時期に社会的・政治的インパクトを持ったものの一部であるということに、ハッと気づかされるわ。
これから10年、どうなっていくのかとっても楽しみ。私は今までのことに敬意を表したい。つまり、仕事全体を通して、私は二人のレズビアンを演じてきたけれど、二人とも目立つほどに素晴らしい女性たちだったから。もし脚本が良くて信頼できるものであれば、すぐにでもまた別の役を演じてみたいわ。私は、ゲイのキャラクターを演じれば、キャリアにプラスになるといういい例になれたと思う。でも今となっては、ゲイだからとかってもう関係ないと思うけど。
Q: それはよかった。あなたがランディの役をやることになった時、おそらく、そんなリスクのある役をやるなんてと言われたと思うんだけど、成功したものね。
ローレル: 私が違った役を色々とやるのを見ているので、ほとんどの人がサポートしてくれたわ。「さぁ彼女の番だ。好きなようにやらせてみよう。」って思ってくれていたと思うわ。 “純情な少女役の女優”って言うんだかなんだかよく知らないけど、おそらく少しばかり、そんなような女優だと思われていたと自分でも思う時期があった。
でも、まず興味深い部分を探すの。そしてキャラクターがどんな人間なのかとか、どんな風貌にするかを考えて、それから、心理的にキャラクターの内面を分析していくのよ。一生懸命宿題をやって、それを提出するような感じ。セクシュアリティも、その一面だと思う。
例えばティナの場合、まずこんな風に考えてみるの。そうそう、彼女は大学中にカムアウトしたでしょ、それから、こんなあんなガールフレンドがいて、それから、それから、、、。そうすると、アイリーン(Ilene Chaiken )とローズ・トローシュ(Rose Troche)が、「違う、違う、ティナはそうじゃない。」って言うの。で、私は、「そうなの? じゃあ、どんな感じ?」と返すと、「ティナは男と付き合ってたのよ」って。そしたらベットが手を出して、ティナは「え? ほんと? いいわよ。」ってことになったんでしょって。
これはティナのセクシュアリティを表現しているでしょ。ティナの一面だし、ティナの一部分。そのあとティナはベットに恋をして、8年も付き合ったの。それから、それがティナのアイデンティティになり始めるのよ。その後ティナは、仲間たちと一緒にいないで、男性とデートをするようになり、自分らしさを失うの。このような一連の出来事を経験して、30代がどういうものかわかるんじゃないかしら。高校でカムアウトしたランディ・ディーンとは大違いよね。ランディ・ディーンは、絶対に男性とは付き合ったりしないタイプだろうけど、基本的にセクシュアリティの構造がティナとは違うのよ。これが、私にとってキャラクターの興味をそそられるところなの。
つまり、これまでやってきた仕事のせいか、今はどのキャラクターを見ても、常に今までの経験の一部として見てしまうのよ。この人はレズビアンの経験があるのかしらとか、この人はずっとストレートだったのかしらとか、この人はストレートだけどレズビアンに興味があって(bicurious = heteroflexible)、怒りやフラストレーションがうっ積している人なのかしら、といった風にね(笑)。演じるキャラクターのあらゆる面を見極めることって、役者としての仕事だと思うの。この人ってセックスに興味がないのかな? 何かとっても気がかりでダークな部分がこの人にはあるかしら? 役に思いきり飛び込んで、よく見極めて、大胆不敵にやらなくちゃって、私はいつもそうありたいと思っているの。
最終的に、「うわ、彼女は大胆不敵だ。出産シーンを撮った時、ものすごく太っていたけど、大胆不敵だった。」とか、「こんな正気じゃないようなシーンやったんだ。レイプのようだけどレイプじゃない。悲しみとダメになっていく関係を表現しているんだな。」と、人々には言ってもらいたいの。
“好ましさ” についてまた話を戻すけど、キャリアのことを考えれば、私が興味を引くものは「恐怖心のなさ」ということだと思う。「彼女はどんな役にでも使える。」と言われるようになるために、自分自身を型にはめてしまうようなことはしないわ。なぜかというと、個性を失ってしまうからよ。
とても有名な素晴らしいある俳優さんとご一緒にお仕事をさせていただいた時のことをよく覚えているんだけれども、彼は私に一度だけこう言ったわ。「比べたり、対比したりするな。君のことを個性的にしているものをもっと大事にするんだ。それから、人のキャリアと自分を比べたりしないこと。そうすれば演じている時間が素晴らしい時間となるだろう。」と。それから彼は、「僕たちがしていることは、僕たちであるということではない。」とよく言っていたけど、その本当の意味がわかったわ。
恋愛関係を持ったり、持たなかったり、恋に落ちたり、家族を持ったり、子供を持ったりというような出来事を人生の中にもたらせたら、それはその人の仕事の質をもさらに高めてくれるのではないかしら。ただ仕事だけにだけ重点を置いて、いま並べたようなことを何もしなかったら、内面から引き出すものも何もないわ。